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      <title>ぽよよんにっき</title>
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      <description>ゆる～い感じのにっきちょう。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>生態系の修復を目指す　2</title>
         <description>アメリカ、ヨーロッパの熱帯研究のモチーフは、生態系をしっかり保全しなくてはならない、そのために熱帯研究をやるのだというふうに思えてなりません。


しかし、東南アジアはすでに、生態系として保全すべき森林が、徹底的に破壊しつくされています。


したがって、東南アジアの現状は、生態系の保全ではなく、より積極的な「生態系の修復」を考えなければならないということです。

生態系の修復は、まず森林の再生から始めなければなりません。


森林は、一次生産者として生態系のすべての生物生存の基礎になっています。


生態系の駆動力となるのは森林です。


森林がなければ、生態系は存在しないのです。


あらゆる生物は存在しえないのです。


生態系修復の第一歩は森林にあります。
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         <pubDate>Fri, 04 May 2012 11:12:44 +0900</pubDate>
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         <title>生態系の修復を目指す</title>
         <description>
東南アジアにおける熱帯林研究は、なによりもまず、生態系の修復を目指さなければならないということです。


これは、熱帯林を扱うときのいわば第一原則とでもいうべき、非常に重要なポイントです。


生態系の保全ではないのです。


東南アジアからの発想は、熱帯アフリカ、あるいは熱帯アメリカとは違っていると考えています。


欧米の熱帯研究は、「生態系の保全」が主なテーマになっているように思われます。


アメリカには、熱帯研究に関心をもった大学の連合組織である熱帯研究機構・・・


それに、連邦政府のスミソニアン熱帯研究所などによって優れた熱帯研究が行われています。


ヨーロッパ各国も熱帯研究の関心が深く、長い研究の歴史を持っています。

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         <pubDate>Tue, 17 Apr 2012 11:08:52 +0900</pubDate>
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         <title>社会資本の充実</title>
         <description>食糧さえ輸入に頼らねばならなかった多くの発展途上国が、政府主導型の大型プロジェクトで工業化を図ろうとして失敗してしまったのとまったく違った道をたどったことが、タイの成功につながったといえるでしょう。


タイ農業の急速な多様化は、、ミドルマンの指導のもとで、農民が畑作へ転換す墾離翻ることをいとわなかったためであ塔外国の霧の動きに対応した積馨による成果として評価していいでしょう。


・・・こうした動きの中で、輸出入業者は輸出商品の多様化にともない、また工業品を輸入することで利益を挙げました。


彼らは蓄積した資本をもとに外国資本と結びついて工業化の進展を支えるようになりました。


つまり商業資本家が、政府の輸入規制と外国資本導入の自由化に対応して産業資本家へ転化する動きをみせたが、それも農業の多様化によって支えられていたのです。


農業の多様化は単に農業だけでなく、タイ経済全体の好循環をもたらしましたが、こうした好循環の実現のためには、社会資本の充実という一つの軸が必要でした。


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         <pubDate>Mon, 05 Mar 2012 17:27:52 +0900</pubDate>
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         <title>農業とタイ経済　3</title>
         <description>アメリカからの特需の途絶と石油価格高騰によるマイナスの影響は、ブームのなかでの輸出金額の増加で最小限に止められました。


農業の多様化が実現していなければ、こうしたブームにも乗れなかったに違いありません。


もう一つ、物価安定効果とそれによる労賃の低位安定も、農業の発展によるものであったというべきです。


・・・とくに、主食である米の価格安定は、農民の犠牲によるものという見方もあるでしょうが、工業化のための大きな要素になっていました。


政府は、米の輸出には、輸出税だけでなく、ライス・プレミアムと称する税をかけています。


こうした税制が国際価格と国内価格の分離効果を持ち、労賃コストを低減させるものとなりました。


また、もちろん農業からの税収が財政を支え社会資本を充実させる役割も果たしました。


タイの持続的成長の背景には、農業d多角化による発展がありました。


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         <pubDate>Thu, 16 Feb 2012 17:27:19 +0900</pubDate>
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         <title>農業とタイ経済　2</title>
         <description>よく知られているように、かつては輸出といえば、米、チーク材と錫程度であったのが、メイズ、砂糖、タピオカ澱粉、モヤシ豆、それに骨なしチキンなど、きわめて多くの品目を数えるようになっています。


浮稲だけの農業から、畑作農業に転換したのですが、それを支え、刺激したのが輸出でした。


農業の多様化はタイの成長を支えたが、国際収支の危機を回避させたことも忘れてはなりません。


典型的な例は、ベトナム戦争の末期です。


アメリカからは、ベトナム戦争のための巨額の資金や特需が流れこんでいました。


戦争末期には、そうした条件がほとんどなくなりました。


しかも、ほぼ同時に訪れたのが石油危機でした。


当時のタイは、消費する石油のほぼ全量を輸入していたし、まだ天然ガスは発見されていなかったのです。


国際収支はまさに危機をむかえました。


・・・しかし、一次産品ブームといわれた農産物の価格高騰と輸出の増加がタイを救ったのです。


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         <pubDate>Fri, 20 Jan 2012 17:26:38 +0900</pubDate>
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         <title>農業とタイ経済</title>
         <description>日本からは、公的、私的(日本の農協組織)を問わずタイの農協拡充のための協力の手がさしのべられ、かつ円借款によるいわゆるツーステップ・ローンも出されています。


・・・こうした協力が実を結ぶまでには、さらに時間はかかるでしょう。


農業は変わったとはいえ、農民の協力の意識をつくり出すまでには時間が必要であろうからです。


タイの国内総生産(GDP)に占める農業のウエイトは23%程度です。


しかし、農民の就業者人口に占める比重は70%を越えています。


農業は失業者吸収の場所でもあります。


重要な点は、GDPに占めるウエイトが低いなかで、輸出に占める農産物の比重がきわめて高いことです。


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         <pubDate>Tue, 06 Dec 2011 17:25:57 +0900</pubDate>
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         <title>&quot;共育&quot;とは？　5</title>
         <description>水が状況です。


同じ&quot;水&quot;が生々しく隅々にまで行きわたり、人びとは、それにじかに接することによって、それを共有し合えるのです。


水なくしては竿は折れ、傷つくのみです。


そして、擾拝棒がリーダーです。


もちろん、その全体をオーガナイズするのはリーダーです。


まさに人間力の触発作用、あるいは&quot;連鎖反応&quot;であり、これが、「衆合天才」を生み育てていくリードです。


「リードほど、創造性を要するものはない」ものです。


その&quot;先生&quot;が、仕事の状況と部下の状況でした。


したがって、部下の状況をよく見ていないと、&quot;芋洗い&quot;はできないことになります。
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         <pubDate>Fri, 18 Nov 2011 11:34:04 +0900</pubDate>
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         <title>&quot;共育&quot;とは？　4</title>
         <description>「人を道具として」の人間観における教育が、先生と生徒という、教える側と教えられる側によってなされる&quot;師的&quot;あるいは&quot;個的&quot;の縦型であるのに対して、「人を人として」における教育は、仲間による横型に負うところが大きいのです。


「部下に上を向かせるな。横を向かせろ」


・・・と言いたいのです。


ある人が、チームワーク学校のホームリーダーを体験の後、自分の高校生の娘さんに対して同じ試みをやってみたが、どうもうまくいかないとぼやいていました。


うまくいかないはずです。


&quot;横&quot;がいないからです。


乱暴な表現ですが、以上のような「まかせる」ための進めかたを、ひと言で私は、&quot;芋洗い&quot;だと称しています。


最近では変わっているのでしょうが、地方では芋を洗うとき、大きな桶に芋を入れ、それに水を張り、棒をその中に突っ込んで、ごしごしと掻き混ぜていました。


芋どうしが互いにぶつかり合って、互いにきれいに磨かれていくわけです。


&quot;芋&quot;が&quot;芋&quot;を洗うのです。


桶が課題です。


&quot;桶&quot;の中でが絶対条件であって、そこから飛び出しては仕事になりません。

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         <pubDate>Mon, 03 Oct 2011 11:33:06 +0900</pubDate>
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         <title>RDSの赤ちゃんと正常な赤ちゃん</title>
         <description><![CDATA[「呼吸不全症候群(RDS)」として知られているものが原因で、出産後三時間以内におこる新生児死亡率の予測に、ラリー・ミッチェルソンたち(1977)は関心をもった。


この条件をもつ赤ちゃんは、しぼしば、誕生後数時間で死亡する。


医学的には全く予測できません。


ときによっては、医師は何かよくないことに気付くが、あまりにおそすぎてしばしば赤ちゃんを救うことができません。


ミッチェルソンたちは、予備研究と追試を行い、RDSの赤ちゃんと正常な赤ちゃんの誕生チャートを比較した。


アメリカ北東部の2万4千の誕生から選ばれた122名のRDS赤ちゃんの記録が用いられ、対照群として用いられた145名の正常な赤ちゃんの無作為標本と比較されました。


不幸にして、追試だけが詳しく発表されたにすぎない。


しかし一般的にみると、彼らがしたことは次のようなことです。


コンピュータを用いて、数千の占星術変数を研究し、どれがRDSと相関するかを調べた。


出産の月、日、時間のような要因については、RDS赤ちゃんと対照群とのあいだには、有意差が見いだされなかった。


しかし太陽がどの星座にあるかということとの関係を見いだした。


RDS赤ちゃんは、獅子座より水瓶座で生まれることが多かった。


はじめの研究と追試とをまとめて、彼らはRDSを予測するのに有意であると思われる18の占星術変数を見いだした。


占星術と一致して、重要であると思われるのは、黄道十二宮と惑星であって、誕生の時間のようなものではなかった。


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         <pubDate>Wed, 14 Sep 2011 11:25:40 +0900</pubDate>
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         <title>&quot;共育&quot;とは？　3</title>
         <description>一つはそのドラマそのものからでしたが、他の一つは、お2人の発見が、期せずして私が言う「横どうし教え合うようにする」・・・


つまり「横から教える」と、その本質が同じであるということからでした。


極限の闘いの中から掴みとられたことに、深い敬意を払いたいのです。


かつての伸学社は、東大への最短かつ確実なコースであった灘高あるいはラサール高への高い合格率を誇る学習塾でした。


私はその全盛期に、教育としての関心ではなく、入試を一人ひとりの課題として捉え、それを達成していくという考えかたに興味をもって、塾頭とお会いしたことがありました。


その時の氏の2つの言葉に同感しました。


一つは、「どの子の隣に座るかで、その子のここでの運命が決まる」というもの。


他の一つは、「塾生どうしを小集団化して、互いに試験問題を出し合わせている」というものでした。


伸学社は、氏が病に倒れて、1986年に解散しました。


『教科書を子どもが創る小学校』で紹介された信州大学付属長野小学校の教育も、そう意識されて行われているかどうかはわかりませんが、「横から教える」教育です。

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         <pubDate>Mon, 12 Sep 2011 11:31:59 +0900</pubDate>
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         <title>&quot;共育&quot;とは？　2</title>
         <description>一つだけ紹介しましょう。


・・・同園に、食べものの前に出ると緊張して、自分の手で食べることのできない「Aちゃん」が入園してきました。


何とか自力で食べられるようにしようと夫妻はがんばるのですが、その努力は徒労に終わってしまいます。


やむなく夫妻は、彼に食べさせることをその仲間に託します。


そうして数カ月が過ぎたころです。


とうとう彼は、自らの手で、食べ物を口に運び出したのです。


Aちゃんはもとより、彼を自立させた仲間は成長し、その感動もひとしおであったことでしょう。


この種の数々の体験から氏は、「『教育』とは『共育』です」と言っておられました。


この2日間にわたるお2人の話に、私はニ重の感動をうけたのです。

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         <pubDate>Mon, 15 Aug 2011 11:31:07 +0900</pubDate>
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         <title>時間意識の革命　2</title>
         <description><![CDATA[利潤が商人や職人の関心の中心になってくるにつれて、<a href="http://www.smart-time.net/?mode=cate&cbid=769585&csid=0" target="_blank">D&G 時計</a>で測ったような時間の正確な計測がいっそう重要になってきました。


新しい時間の尺度は、例えばギルドにおける商取り引きの時間の規制、職人の労働時間の規制など・・・


職業上の目的に使われるようになりました。


とくに新しい時間観念が新旧勢力の決定的対立をもたらしたのは、利子をめぐる問題です。


・・・というのは、商人高利貸資本の活動は、「時間を売ることはできない」とした教会の態度と対立したからです。


キリスト教の時間は神学的時間で、神とともに始まり神によって麦配されている時間です。


時間が神のものである以上、時間を売って利子をとる行為は神を冒濱するものです。


・・・こうして徴利禁止法が13世紀に神学者、教会法学者によって体系づけられました。


これに対して、商人の時間は利潤に関係する時間であり、時間を組織的・計画的に利用することが営利なのです。

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         <pubDate>Tue, 02 Aug 2011 11:06:04 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>時間意識の革命</title>
         <description><![CDATA[イタリアで1日を等分の24時間に分けたのは14世紀初めのこと。


そして夜中の1時に1つ、2時には2つといったふうに、等間隔時で午前午後それぞれ12回。


最初の鐘を鳴らしたのはサン・ゴッタルド教会の鐘で、1335年のことでした。


・・・こうして15世紀になると、機械時計の普及とともにヨーロッパ各地で急速に定時法が採用されるようになります。


定時法システムの成立によって、等価等質の労働時間を単位とする商品生産、産業資本成立の基礎的条件ができ上がります。


ところで注目すべきは、定時法の普及に積極的であったのは、新興都市市民階級であったということです。


・・・というのは、商人や手工業者の間では、「時間」が職業的営みのなかで、貨幣と同じように貴重な価値をもつものとして意識されつつあったからです。


これはまだ<a href="http://www.smart-time.net/?mode=cate&cbid=769585&csid=0" target="_blank">D&G 時計</a>のような腕時計が一般に普及していない頃の話です。


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         <pubDate>Wed, 20 Jul 2011 11:04:19 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>&quot;共育&quot;とは？</title>
         <description>これは、ある高校のラグビー部監督の話です。


ずいぶん前にNHKの番組に出演されて、以下のような話をしてくれました。


スタジオにいる十数人のお母さんたちの前で氏は語っていたのですが、このお母さんたち全員が、顔を下に向けたまま目にハンカチを当てていました。


「言い訳を聞いていると距離ができる」


「信頼は本当につらいけど、信ずる以外に途はない」


「信ずると、子どもはそうなる」


・・・などの途中の言葉にも重みはありましたが、氏は最後にこう言って話を終えました。


「教育とは『共に感じ合ううこと』です」と。


続く翌日は、長崎県にあるある園の長でした。


同園は、短大の教授を務める氏が夫人とともに、自宅を開放して身体障害者と生活を共にしている施設です。


氏の体験もまたラグビー部の監督と同様に、涙なしには聞いていられない感動のドラマの連続でした。

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         <pubDate>Sun, 03 Jul 2011 11:28:38 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>スイス高級時計の歴史　3</title>
         <description><![CDATA[フランスのブシュロン。


宝石店の集まるパリのヴァンドーム広場に一番早く出店したのが「ブシュロン」です。


創業は1858年、広場へは1893年に移転。


店のマークはダイヤモンドの中に広場のシンボルである塔をデザインしています。


世界中の王室のために宝冠類を製作してきましたが、最近は一般向けのアクセサリーもつくっています。


「ブシュロンカドー」と名づけ、オートクチュール宝石に対するプレタポルテ宝石です。


メンズでは貴金属、貴石、貴木(レオパード・ウッド)のカフスが<a href="http://www.smart-time.info/?mode=cate&cbid=833167&csid=0" target="_blank">ハミルトン ベンチュラ</a>と同じく人気ですね。


そしてブルガリ。


伝統を守るギリシャの銀細工師だったソティリオ・ブルガリがローマに店を開いたのは1884年のことです。


現在はローマのコンドッティ通りに本店をおき、世界16都市に支店を出しています。


ヨーロッパ上流社会に熱狂的なファンを持ち、夜のパーティでは陰の主役ともいわれています。


特徴は、古代ギリシャのクラシック・デザインと典雅なイタリアン・ジュエリー・アートを融和させたデザインで、"ブルガリ・スタイル"とも呼ばれています。


人気の商品は、古代ギリシャ文化を彷彿とさせるクラシックなゴールドのカフスや、BVLGARIのアル
ファベット(Vは古代ローマ字で現代のU)をベゼル(文字盤の縁)に刻んだ腕時計などがあげられます。

]]></description>
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         <pubDate>Mon, 20 Jun 2011 12:52:55 +0900</pubDate>
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